JAPANESE ARCHITECTURE IN KYOTO
京都の日本建築
孤篷庵 No.5
書院「直入軒」の北に接して「山雲床」がある。
山雲床(さんうんじょう)は四畳半台目、中柱出炉の下座床である。大徳寺塔頭の龍光院にある茶室、密庵(みったん)席を模したもので、孤篷庵焼失以前はなかった。現在の山雲床は1800年(寛政12)に復興されたものをここに移したと言われる。
床の間は台目で、床脇に鞘の間があり、双子桟の腰障子で仕切られている。
手前座の中柱は真直の北山丸太で、きびしい意匠。中柱の袖壁は杉板を嵌め込む。
忘筌と同じく壁は全て貼付壁で、狩野探幽が破墨山水を描いており、山雲海月の情景をあらわしている。
密庵とくらべて違棚、密庵床と呼ばれる高名な書院床は略され、墨蹟窓と鞘の間への小壁に下地窓が設けられ、手前座の正面上部にも下地窓が開けられている。
山雲床。四畳半台目の茶席。
左は床の間、床柱は白っぽい椎の丸太、その右の二重桟腰高の4本の障子は鞘の間に通じ、右端の障子が茶道口にあたる。腰板は密庵席とは異なり、唐紙は貼っていない。
鞘の間に通ずる小壁上部に下地窓が開けられているのが密庵席と異なる。
中柱に密庵と同じく杉板の袖壁がはめられ、向う側に二段の棚を釣っている。炉は台目切りである。
自然光の室内。
自然光のままの状態を、上の写真と比べてみればその光と空間の関係がよくわかるだろう。
この暗さ、つまり障子を通って入ってくるひかりの明るさがこの空間の重要な意匠である。
左は蹲踞のある庭からの入口。墨蹟窓の薄明かりと床の間にならんであかり障子がはいる。手前は明かり障子を背にして行なう。
山雲床の床の間横の給仕口の障子と欄間のディティール。
明かり障子は双子桟の特徴的なもので、そのデザインは寸法やプロポーションなどを除いて密庵席と同じである。
山雲床の名称は「碧巌録」の第53則の「百丈野鴨子(ひゃくじょうやおうす)」の条に由来する。
馬祖道一が弟子の百丈を従えて旅をしたとき、野鴨が突然飛び立った。そして、馬祖が、「あの鴨は一体どこに飛んでいったのか」と百丈に問を投げかける。ここから「語尽山雲海月情(かたりつくすさんぬんかいげつのじょう)」の禅問答がはじまる。
山雲床はここからとられ、床を情とおなじく「じょう」と読ませている。
ここでもテーマは孤篷庵全体に響わたる「旅」であった。遠州を心酔し、孤篷庵の焼失後再建した松平不昧公は、飛び立つ鴨に遠州の姿を見たのであろうか。 そして、その鴨の旅ゆきに路銀を持たせる。
山雲床の布泉の蹲踞。
その形態から銭形の手水鉢と呼ばれ、旅に必要な路銀を意味しているといわれている。
屋根においた水槽からサイフォンの原理でこんこんと水が湧き出る仕掛けになっている。
遠州は、水琴窟と排水をかねたような洞水門を考え出すなど、幼少の折から工学を知り長けており、作庭に生かしていた。
[No.1]
アプローチ
:
[No.2]
忘筌の間
:
[No.3]
方丈庭園
[No.4]
直入軒
:
[No.5]
山雲床
北区
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